感性が良くなるとコミュニケーション能力が上がる?!
何気にふと、先々こんなふうになるのかな?とか
何となく予感があることがよくありますね。
日々の生活の中、そしてビジネスなどに対しても、
こんなふうになる、と先のことがピーン!
とくることが多少なりともあると思います。
このように予兆に鋭くなるのは、
予知力であるから感性の働きです。
スポーツでも、同じようなことがいえます。
今日はうまくいきそうだ、とか逆に
今日は何かだめそうだ!とか、直感的にわかる時があります。
同じように、人とのつきあいでも、
いろいろな思いや体験をしていると、
そのうちその人とは、おもしろいことが起こるか、
うまがあうかなど、予感が働くようになってきます。
人脈も、またこういった感性の賜物
であるように思えます。
よい仕事やパートナーに恵まれるときは、
そういう人や仕事がたて続けに現われます。
確かに何かが共振している気がします。
つまり、感性を中心に、シンクロニティという力が
働いているように思えます。
感性が磨かれてくると、
相手が自分に対してどういうスタンスをとるか
相手の気持ちに敏感になり、気づかい、根回しに、
たけてきます。
それがどの程度で、加減を適確に感じられる人が、
感性があることになります。
必要以上に気を働かせては、
小さなことはよくとも、大きなことがうまくいかなくなり、
それが卑屈に臆病にみえ、
まわりの信頼が得られなくなります。
いろんな慣習、権威、人間関係の
あつれきが支配しているのが会社だからです。
読みが深くないと、つまり感性がにぶいと、
うまくことが運ばないことが多々でてきます。
なので、いつも自分の感じ方の壁を破る
努力が必要でしょう。
よけいなおせっかいと見られることばかりして、
その人のまわりからも良く思われない人もいますが、
これも、感性が鈍いといえるでしょう。
そつなく、相手から理解され、
調和ある状態を築くためには、
相手方の身にならなくてはうまくできません。
身になるとは、相手の心で感じることです。
そのためには、そういう人のことを知り、
素直さと謙虚さがなくては、
感性はうまく働かないといえます。
人を見る眼のある人は、頭が切れ、
仕事上の能力がある人とは必ずしも同じではないようです。
どちらかというと、人との関係を
うまくつくれる人に目をかけています。
それは、
その人も仕事として対応しているようであっても、
必ず相手に人間としてどう対応するかという面を
大事にしているからです。
だから、よい人脈をもつことができるのでしょう。
たとえば仕事の中で、
ビジネスとして誰かに会う場合、
その形のなかだけで対応される方が、
めんどうはないという考えもあります。
会社勤めのOLが、
仕事で使われる以上のことに関心を
もたれることを好まないのは、その方が
めんどうくさくないからです。
最近の若者も、その傾向が強いかもしれません。
会社は仕事をするところだから、
人と人とも仕事あっての関係だから、
それでよいのは確かです。
でも、それを踏まえた上で、そこから一歩、
一人の人間として関わっていくことが、
忘れられているように思えます。
またそれが感性を磨くための、
とても良いチャンスになるように思います。
なるべく必要以上のことにはかかわらないということで、
感性が低くなる傾向があるように感じます。
学校の友人も、会社の同僚も、会社の上司も、
短い人生で関わりのもてる数少ない人間の
一人であることに変わりはないですね。
会社を抜いたところに築いていく関係こそが
人生の財産となると思うとちょっと得した感じがしませんか。
もちろん、
会社のなかでしか知り合いができないサラリーマン、
会社をやめたら誰とも疎遠になるサラリーマンでは、
これから先、密度が薄い人生になってしまいそうです。
そうならないためには、サラリーマンという立場に
縛られない自由で開放的な交感能力のようなものが必要です。
これが感性を磨くということになります。
感性は、人を差別することなく、調和を生んでいきます。
深いつきあいは、地位も富もないうちの若い頃や
不遇の身の上に起こりやすいといわれます。
それは、そういうときには理屈、たてまえ、立場抜きに
感性が働きやすいからです。
相手の気持ちを思いやるイマジネーションがあれば、
常に、相手の身になって、ものを捉えられます。
そこには、ひたすら感覚を研ぎ澄まして、
相手の身をおもんばかれる力、それが交感能力、
つまり感性です。
感性がある人は、
まわりの人を誰でも自分の味方にしていきます。
それは、自分の心を開いているからです。
感性を磨いて、人との関係をうまくつくれる人
コミュニケーションを取れる人になりたいものです!